東京地方裁判所 平成8年(ワ)14401号 判決 2000年5月31日
原告
A株式会社
右代表者代表取締役
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
嘉村孝
同
櫻井敬子
被告
大東京火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
瀬下明
右訴訟代理人弁護士
戸田信吾
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告は、原告に対し、一六九四万三九二〇円及びこれに対する平成八年八月九日から支払済まで年六パーセントの割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は、被告の負担とする。
三 第一項について仮執行宣言。
第二 事案の概要
一 本件は、原告代表者が帰宅途中に暴漢に襲われ、所持していた金品を強取された保険事故に遭ったとして、動産保険契約を締結していた被告に対し保険金の請求をしたところ、被告は、右保険事故の発生の証明がないなどとして争った事案である。
二 当事者間に争いがないか、弁論の全趣旨により容易に認められる事実
1 原告(保険事故時の商号・B有限会社)は、商品券、ギフト券等有価証券の売買等を業とする会社であり、被告は、損害保険業等を業とする会社である。
2 原告は、平成六年一一月九日、被告との間で、以下の内容の動産総合保険契約を締結した(以下「本件保険契約」という)。
(一) 保険契約者及び被保険者原告
(二) 保険者 被告
(三) 契約内容 現金、有価証券、商品券その他の金券について、担保地域内において生じたすべての偶然な事故による損害に対して損害保険金を支払う。
(四) 担保地域
(1) 保管場所
① 東京都中央区八重洲<番地略>(以下「店舗A」という。)
② 東京都品川区西五反田<番地略>(以下「店舗B」という。)
③ 東京都大田区北千束<番地略>(以下「店舗C」という。)
(2) 輸送中
各店舗(A、B、C)間並びに銀行、仕入先、販売先間及びその他諸事間
(五) 保険金(限度額)
(1) 現金、有価証券について
① 店舗A 二〇〇〇万円
② 店舗B 四〇〇万円
③ 店舗C 一〇〇〇万円
④ 輸送中 二億五〇〇〇万円
(2) 商品券その他の金券について
① 店舗C 五〇〇万円
② その他は(1)に同じ
(六) 保険料
(1) 現金、有価証券について
年額二三万八三四〇円
(2) 商品券その他の金券について
年額二八万三九一〇円
三 争点
1 本件保険事故の発生
2 原告の損害額
四 争点に対する当事者の主張
1 争点1について
(一) 原告
(1) 原告代表者甲野太郎(以下「甲野」という。)は、平成七年一〇月一七日午前〇時二〇分ころ、自宅マンション近くの二四時間営業のいわゆるコンビニエンスストアに買い物に行く途中、東京都大田区北千束一丁目五二番付近の路上で、反対方向から歩いてきた男性(以下「犯人」という。)から、その右肘を右胸にぶつけられ、それにより転倒したところ、右手に抱えていた現金やハイウエイカードの入った鞄を奪われる事故にあった(以下「本件保険事故」という。)
(2) 甲野は、本件保険事故によって、怪我によりリハビリ中であった右足親指をさらに痛めたが、現場から約二〇〇メートル離れた東急目蒲線大岡山駅前交番に歩いて行き、警察官に右被害を申告した。
(二) 被告
本件保険事故の発生に関する甲野の供述は変遷したり、多くの点で矛盾があり、本件保険金事故があったとの証明はない。
2 争点2について
(一) 原告
(1) 甲野は、本件事故時、現金四五九万三九二〇円及びハイウエイカード三〇〇枚(一二三五万円相当)の入った鞄を所持していたが、犯人に鞄を奪われたことから、右金額と同等の損害を被った。
(2) 原告は、被告に対し、本件保険契約に基づき、本件保険事故による被害額合計一六九四万三九二〇円の保険金の請求をした。
(二) 被告
原告の損害の発生を争う
第三 争点に対する判断
一 争点1(本件保険事故の発生)について
1 本件保険事故の発生については、目撃者等の証人はなく、さらにその損害等についても、犯人が特定され、その者が保険事故を起こしたという事実を明らかにしてもいないことから、本件保険事故及びその損害の存在を直接立証する証拠は甲野の供述に限られる。このような場合に、本件保険事故の存在を認定できるかどうかは、甲野の供述の合理性と、甲野の供述を裏付けるに足りる証拠が存在するか否かにかかることから、以下のとおり甲野の供述とその他の証拠を検討する。
2 甲野の主張する本件保険事故の態様
(一) 本件保険事故現場に至る経過
(1) 甲野と原告の従業員山崎理恵子(以下「山崎」という。)は、平成七年一〇月一六日午後一〇時三〇分ころ、原告会社の八重洲店を出て、タクシーでJR目黒駅に向かい、午後一一時ころから目黒駅前の飲食店で食事をとった後、甲野と山崎は、目黒駅前で別れ、甲野は、帰宅のため、午後一一時三〇分ころ、目黒駅前からタクシーに乗車し、大田区北千束にある自宅マンションに向かった(甲七、証人山崎、甲野本人)。
(2) 甲野は、タクシーで自宅マンション付近まで来たところ、自宅マンション前の路上にタクシー二、三台が甲野の乗ったタクシーの進行方向の道路を塞ぐように駐車していたため、タクシーが自宅マンション前まで進行出来なかったことから、自宅マンション手前でタクシーを降りた。甲野は、そこから自宅マンションまで歩いて帰ろうとしたが、その時、食料や飲み物を買って帰ろうと思い立ち、そのまま自宅マンションには帰らずに、右手にハイウエイカードと現金の入った鞄を持って、自宅マンションとは反対方向にある二四時間営業のコンビニエンスストア「パンプキン」に向かって歩き出し、自宅マンション前の道路を左折して、暗くて人通りの少ない幅約三メートルの道路を歩いて行った(甲七、甲野本人)。
(二) 犯人の服装等
甲野は、以前に左足親指を怪我して、そのリハビリ中であり、まだ痛みがあったことから、左足をかばうように、前屈みになりながら、パンプキンに向かう人気のない暗い道の左縁を歩いていたが、パンプキンのある通りに出る交差点の約二〇メートル手前にあるマンション(マイキャッスル大岡山)付近にさしかかったとき、甲野の歩いている前方から、身長約一七〇センチメートル、中肉中背の、黒っぽい野球帽をかぶり、エンジっぽいジャンパー、ジーパンに、白いスニーカーを履いた男性(犯人)が近づいてきたのが視界に入った(甲七、一五、乙三、四、八、甲野本人)。
(三) 暴行、転倒の態様等
犯人は、甲野に近づいてきて、突然その右肘で体当たりするように、勢いよく甲野の右胸付近を突き飛ばしてしたことから、甲野は、その左半身から、マンション脇の二メートル四方の空地のコンクリート面に倒れた。その際、甲野は、尻や腰からコンクリート面に落ちて、体を肘でかばって、肩、頭を打ち付けるようにして、転がって倒れた。頭は、コンクリート面にガツンと打ちつけ、意識がぼうっとするようだった。そして、甲野は、倒れるとき、左足親指に力が入り、くの字に強く捻るなどしたため、怪我をしていた左足親指に激しい痛みが走った(甲七、一五、乙四、八、甲野本人)。
(四) 犯人による鞄の奪取と逃走
甲野は、転倒後にも鞄を右手にしっかり握っていたが、瞬間的に犯人から鞄をひったくられた。犯人は、鞄をひったくった後、元来た道を走り去って行った。甲野は、起きあがり道路に出たところで、「こら待て」と声を出したが、犯人は、走り去り、通りを左折しようとするところであった。(甲七、一五、乙二、三、四、甲野本人)。
(五) 犯人追尾や警察への通報
甲野は、公衆電話で警察に電話を掛けることや、回りで営業している店に行くなどとは考えもせずに、とにかく交番に行くのが一番と考えた。甲野は、犯人から突き飛ばされ転倒した際に、さらに左足親指を激しく痛めたため、左足を引きずるようにして、約一〇分かけて大岡山駅前交番まで歩いて行き、右交番の警察官に被害を申告した。その後、右交番の警察官からの連絡により田園調布警察署から刑事が来たことから、刑事と一緒に現場に戻り、被害状況を説明して、田園調布警察署において調書を作成した(甲七、一五、乙三、四、甲野本人)。
(六) 病院の受診
(1) 甲野は、右調書作成後、左足親指の痛みがひどかったことから、平成七年一〇月一七日早朝に、東京都立荏原病院で受診し、同病院の松浦医師に対し、同日午前〇時二〇分ころ暴漢に襲われたこと、左足親指の痛み、頭部及び左腰部の痛みを訴えた。同医師の診察では、左足親指の伸筋腱の腫脹が認められるとともに、左足、腰部及び頭部打撲の診断を受けた。そして、甲野の申し出により、左足親指の怪我の治療のため入院した東京都済生会中央病院に対する紹介状を書いてもらった(甲一五、乙一、二、三、甲野本人)。
(2) そして、甲野は、同日午前中に、東京都済生会中央病院を受診し、同病院の河野医師に対し、暴漢に襲われたこと、左足親指の伸筋腱の痛み、左股間接の痛み、頭部の痛み、左尾部位の痛みをそれぞれ訴えた。同病院での診察では、頭部打撲、腰部挫傷、左母指捻挫の診断を受けた(甲七、一五、乙二、甲野本人)。
3 甲野の供述と証拠の検討
(一)(1) 甲野は、突き飛ばされた際、左足親指を痛めた原因について、①くじいたというか、グッと力が入ったことにより捻った(甲一五)、②ぶつけられた時に、左足親指を捻った。そこが軸になったことによって、普段は入れない力がその足にグッと力が入った。曲げてしまった(甲野本人)、③左足親指をくの字に強く捻ってしまった(乙三、四)などとして、明確に左足親指を捻ったことが原因であるとし、被告が依頼した保険調査員内川清志(以下「内川」という。)に対し、その様子を手の指で表現している(乙三)。
(2) これに対し、甲野は、本人尋問において、被告代理人から親指に力が掛からないように歩いていたことからすれば、倒れる時に左足親指にはそれほど力が掛からないのではないかと質問されると、体重が親指に掛かったのではなく、左足後ろと側面等でかばうことによって親指に力が入り、親指が緊張したことによって、痛めた旨の供述をしている。
(3) しかし、親指が軸になってくの字に捻ったことにより痛めたということと、親指に力が入り、そこが緊張したことにより痛めたということは、表現の違いにとどまらず、異なった原因によったことを示すものと認められ、この点で甲野の供述は一貫性を欠いているといわねばならない。
(二)(1) 甲野は、本人尋問において、怪我をした左足親指のギブスがとれて間もなかったことから、左足をかばいながら、なるべくそこが当たらないように、左足を引きずるようにして下を向いて歩いていたと供述するが、右のような状況で、犯人から右肘で強く右胸付近を突かれた場合には、その後方にそのまま、または左半身方向に倒れるものと考えられ、甲野も、この衝撃で私は左側へ倒れ、左腰と左側頭部を打ったと供述する(乙三、甲野本人)。そうすれば体重は、左足のかかとから外側、すなわち左足の小指側に掛かってくると考えるのが自然である。そして、左足の外側に体重が掛かり倒れるとすれば、必然的に左足親指は浮いた状態になるものと考えられる。
(2) これによれば、転倒する際に、左足親指が軸となって親指に強い力が働き、捻ったりしたことにより痛めた、あるいは、親指が緊張したことにより痛めたという甲野の供述には疑問が残る。
(三)(1) 犯人が逃走した方向の約一〇メートル先の右側には、「まゆ」と「まつや」という飲食店が並んで店を出しており、それぞれはっきりとそれとわかる看板も出ていること、そして、本件保険事故時には、少なくとも「まゆ」は営業中であったこと、さらに、犯人が逃走した方向と交差する道を右折して約二〇メートル先には、甲野が当初行こうとしたパンプキンがあること、がそれぞれ認められる(乙三、六)。
(2) しかし、甲野は、現に営業中の「まゆ」やパンプキン等に助けを求めることや、警察に連絡するために公衆電話を探すこともせず、「まゆ」の前を通りすぎて、大岡山駅の南側にある、現場から約三〇〇メートル離れた大岡山駅前交番まで、痛めた足を引きずりながら、約一〇分かけて歩いて行き、右交番の警察官に初めて被害状況を訴えている(甲七、一五、乙三、四、六、八、甲野本人)。
(3) 甲野の供述によれば、奪いとられた鞄の中には、約四五九万円の現金と一二三五万円相当のハイウエイカードが入っていたものであるが、約一七〇〇万円相当の金品を強奪され、犯人が逃走した場合、被害者は、とっさに大声を出したり、付近の人間に被害を訴えて犯人追跡等を頼むか、早急に電話等により警察に通報しようとするのが一般的な対応であると考えられる。
(4) 甲野は、一方で、電話を掛けるなんていうことは考えもしなかった。とにかく交番へ行くのが一番と頭から思ったなどと供述しながら(甲一五、甲野)、他方、近くに公衆電話はなく(甲七)、自分で公衆電話を探そうとしましたが見つからず(乙三)、公衆電話を探そうとしたが見つからず(乙四)、僕は、もうとにかく小銭がなくて(乙八)などと、一応公衆電話で通報することも考えたかのような供述もしており、甲野の供述は一貫性を欠いている。
(5) また、本件保険事故当時の現場付近の通行人の有無についても、甲野は、内川の事情聴取に対しては、すぐに犯人が走り去ったのと反対の方向から若いアベックが来ましたが、声を掛けて助けてもらっても犯人は捕まらないだろうと思い(乙三)、①起きあがるときに、違う人が見えた。②後ろにも見えたし、コンビニがあるところからまた来る人も見えた。③今度は男の子と女の子二人が歩いていったと述べて(乙八)、本件保険事故直後に、現場付近に通行人がいたことを明確に述べながら、後日、近くに公衆電話はなく、人通りもなかった(甲七)、そばに人が通っていれば何か言うこともありますけども(甲一五)と述べて、通行人の存在を否定しており、その供述は変遷している。
(6) さらに、甲野は、警察に通報しても来てくれないことから、直接交番まで行った方が早いと考えた旨の供述をする(甲一五)。しかし、仮に公衆電話等で警察に通報しても、警察官がすぐに来てくれないと考えたとしたら、なおのこと付近に助けを求め、警察への通報とともに犯人の確保にも務めるのが自然であると考えられるところ、この点について甲野は、人それぞれの考え方の違いである旨の供述をするのみであり(甲野本人)、合理的な説明をしているとは認められない。
(7) また、甲野は、警察に連絡するのはこれが一番早いと思ったとして、以前痛めてリハビリ中であった左足親指をさらに痛めたにもかかわらず、約一〇分もの時間をかけて交番まで足を引きずりながら歩いて行ったとするが、本件保険事故の場合、甲野が警察に連絡するのは、電話等で行うことが一番早いことは明らかであり、仮に本件保険事故現場から離れた交番まで通報に行くにしても、左足親指を痛め、歩行に時間がかかる甲野本人が行くのではなく、付近の人間に助けを求めて行ってもらい、警察官の到着を待つことが早いと思われ、これと異なる甲野の供述は合理的とはいえない。
(8) 右(1)ないし(7)に述べたことからすれば、甲野の一連の行動は、本件保険事故の発生を早急に警察または付近の人間に知らせ、犯人逮捕と被害品確保をはかるという、高額の金品を強奪された被害者が通常取るであろうと思われる対応にはほど遠く、また、この点についての甲野の説明も一貫性がなく合理的なものとは言えない。
(四)(1) 甲野の怪我の程度について、甲野は、胸を突き飛ばされ、その左半身から、コンクリート面に倒れた。その際、尻、腰、肘、頭等を痛打した。また、倒れたとき、左足親指を捻るなどしたため、左足親指に激しい痛みが走ったと供述する(甲一五、乙八、甲野本人)。
(2) 甲野が最初に診察を受けた都立荏原病院の松浦医師作成の診療録(乙一)、及び同医師の東京都済生会中央病院に対する紹介状(乙二)によれば、甲野は、松浦医師に対して、ひったくりに遭い、左足母指を底屈し、腰部及び頭部を打撲した、調書を取っている時めまいとくらみが出たと訴えているが(乙1、三)、これに対し、内川が甲野の承諾を得て都立荏原病院の松浦医師から事情聴取をした結果によれば、同医師は、内川に対し、「診断の結果は、頭部打撲、腰部打撲、左足打撲と認めたが、頭部打撲部の触診では、皮下出血による腫脹、腰部の打撲部及び左足親指にも皮下出血は認めなかった。診察する限りにおいては、治療を必要とする外傷は認められない。頭部を打撲したことにより、めまいとくらみが生じたとの甲野の訴えからすれば、かなり強く打撲したと考えられ、通常であれば挫傷、擦過傷、皮下出血を生じてもおかしくない。」旨述べている(乙三、七)。
また、東京都済生会中央病院では、甲野は、河野医師に対し、ひったくりに遭い、親指を捻ったこと、左股間接痛、頭痛及び左尾部痛を訴え、これに対し、河野医師は、親指は動くが痛みがある、親指縫合部に浮腫はあるが腫脹はないとし、頭部打撲、腰部挫傷、左足親指捻挫と診断している(乙二)。
(3) 甲野は、犯人は、右肘を突き出して、身体全体でぶつかってきたと供述する(甲一五)が、左足親指をかばいながら、うつむきかげんに歩いていた、いわば無防備な状態で犯人から右胸付近を突き飛ばされて、コンクリート面に倒れ込んだという甲野の供述からすれば、右の甲野の医師に対する主訴及び医師の診断から認められる症状は、比較的軽いものと考えられる。また、犯人から右肘を右胸付近にぶつけたのに、右胸付近に関する主訴がなく、乙一及び二号証の医師による診察でも、右胸付近の異常は認められていない。さらに、転倒時に肘や頭を痛打し、頭については、痛みを訴えているが、肘については主訴の記憶もない。これに対し、甲野は、転んだくらいで痣ができることはないとか、身を守る形は持っているとか、足をかばおうとしていたことなどから、特に右胸等に異常がなくても不思議ではない旨の説明をするが(甲一五)、右のような説明は、必ずしも合理的なものとはいえない。
(4) さらに、都立荏原病院での治療は、レントゲン撮影をしたほかは、痛み止めの薬等の処方をしているにすぎず、また、東京都済生会中央病院においても、痛み止め薬等を処方しているだけであり、都立荏原病院の松浦医師が、特に治療を要するような怪我はない旨の診断をしていることからすれば、甲野が犯人に襲われ、転倒したときの状態及びそれによって被った障害等についての説明とは一致していないと言わざるを得ない。
(5) 内川は、甲野に対する事情聴取の際、甲野に対し、本件保険事故時の着用していた着衣と履いていた靴の提示を求めたが、結局甲野はこれを内川に示さなかった(証人内川)。甲野が、犯人から、右胸付近を突き飛ばされて、コンクリート上に倒れ込んだとすれば、着衣にその痕跡が残るのが通常であり、着衣や靴は、本件保険事故の発生や、甲野の転倒時の被害状況を明らかにする重要な証拠となるものであることから、甲野が本件保険事故の発生と転倒の状況を内川に認識させようとすれば、積極的に着衣と靴を提示して説明するのが自然であると考える。しかし、甲野は、これらをなぜ提出しなかったかについては、合理的な説明をしていない。
(6) 内川が甲野の承諾を得て大岡山駅前交番の警察官に事情聴取した結果によれば、甲野の被害届を受けた警察官は、内川に対し、甲野は、足を引きずっている様子はなかったこと、多額の金品を奪われた被害者にしては、冷静な口調で被害状況を申告したことから、奇異な印象を受けたと述べ、甲野の被害申告の状況が、一般の被害者の場合と異なっていた旨述べていることが認められる(乙六、証人内川)。
二1 前記一3(一)ないし(六)で認定した事実によれば、甲野の本件保険事故の発生とそ後の経過についての説明は、本件保険事故時から大きく変遷しているとは認められないことや、交番の警察官に被害届を行い、その後刑事の現場検証にも立ち会い被害状況を申告していることなど、本件保険事故の発生を窺わせる証拠もある。しかし、これに対しては、前記のとおり多くの疑問点があり、右疑問点に対し、甲野は十分な行動及び説明を行ったものと認めることはできない。
2 確かに、突然強盗にあった被害者は、混乱して、被害状況について合理的な説明ができないこともあること、また、時間の経過とともに記憶が曖昧になることから、勘違い等により被害状況等について、後日にした説明が、事故時に述べたことと異なることもあること、さらに本件保険事故のように、目撃者が存在せず、ましてや犯人が事故状況を明らかにしてもいない場合には、立証責任の観点から、被害者側に酷な結果となることもあることなどを十分に考慮に入れて判断しなければならないものであるが、これらの点を考慮に入れたとしても、本件保険事故の発生については、前記一3(一)ないし(六)に述べたような多くの疑問点があり、甲野はこれについて合理的な説明をしているとは認め難く、また原告は、甲野の供述を裏付けるに足りる証拠を提出しているとは認められない。
3 そうすると、原告は、本件保険事故の存在を合理的な程度にまで証明したとは言えず、結局、本件全証拠によっても、原告の主張する本件保険事故が発生したことを認めることはできないと言わざるを得ない。
三 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は認められないことから、主文のとおり判決する。
(裁判官・城内和昭)